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uedai blog

日々のこと、読書日記、徒然なるままに思うところ

ノルウェイの森

というわけでLivedoor様から完全移行というわけでね。
あ、一応前のブログのリンク貼っとくか。
なにをすることもなく・・・ - livedoor Blog(ブログ)


まあそんなわけでこれからはこっちでやっていこうと思います。
心機一転なるか!?
というかブログごときで心機一転して何が変わるんだ!?



村上 春樹
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一月前に読んですぐに何か書きたかったけどうまく言葉に出来なかった。
今でもうまく言葉にすることなんて出来ないのだけれど、それに一月もの間が空いて記憶も薄れてきてしまっているのだけれど、やはり何か書かないと気が済まない。
僕にはうまい言葉を使うことはできないけれど率直な僕自身の感情を使うことは出来る。
薄らいでしまった記憶だから見えることもあると思う。


村上春樹の小説は友達に勧められて東京奇譚集を読んでから好きになって海辺のカフカ羊をめぐる冒険を読んだ。
羊をめぐる冒険は「僕と鼠もの」の存在を知らずに先に読んでしまったので後悔している。


さてノルウェイの森を読み終わっての率直な感想を述べよう。


恐怖


僕はこれを読み終わってなにか得体の知れないものに見られているような薄ら寒い怖さを味わった。


物語自体は、主人公の「僕」の回想からはじまり、「僕」が20歳になるころからスタートする。
親友キズキの自殺から心を病んでしまったキズキの彼女であった直子を助けようともがく「僕」の物語、それと同時に「僕」を取り巻く様々な人の関わり、そういう物語。

なんで、僕がこの小説を読んで恐怖を感じたかというと、人の死に対する考えた方が冷めているようで本質に近く、残酷であったからだ。


死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。


物語中では、様々な人が死ぬ。
キズキが自殺し、直子も自殺し、ハツミさんも自殺した。
それは突然に。
人はそれぞれに死を内包して生きている。
ある日ぱったり死んでしまってもおかしくないわけだ。


だからこそこの小説には死が満ちている。
それはもう生きていること自体が死に向かうことという死が生の外側にあるような考え方ではなくて、すでに持っていた死がふくらんできていつか死が満ちてしまうような、そんな恐怖。


「僕」が死ななかったのは、小説で生に一番近い存在の緑がいたからだ。
初めにー「僕」が回想に入る前にー彼は生きていたわけだが、回想の最後には「僕」は一人だった。
自分自身の立っている位置もわからないくらいに一人だった。
直子がいなくなって、「僕」にはここにいる意味がなくなってしまった。
だから、彼はあの瞬間、一番死に近いところに立っていたのだ。
もちろん「僕」の死を邪魔し、生きることを強く願ったレイコさんも救済者の一人だが、彼女は死に近すぎる。
そこから「僕」を救い出したのは緑だ。


「僕」は直子を助けられなかった。
それはしょうがないことなのだ。
僕自身はこの小説で一番死に満ちているのが直子だと思う。
キズキが自殺したのも直子の内にある死が原因ではないだろうか。
直子は小さい頃に姉の死を見てしまっている。
その時点で直子は壊れてしまった、あるいは先天的に死が内に強くあったのかもしれない。


とにもかくにも、僕はこの小説を読んで怖くなった。
人間の心がとてもきれいにまっすぐ描かれているが、だからこそ残酷であると思う。
「僕」の喪失も哀しみも後悔も愛も。


一回読んだくらいじゃ分かった気になれない小説。
読む度に何か変わる、そんな気がする小説。