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uedai blog

日々のこと、読書日記、徒然なるままに思うところ

人間失格・こころ

大学のテスト習慣に巻き込まれてついでにゼミの打ち合わせやら勉強やらなんかよくわからんけど拘束されてすっかり忘れてた。これ読み終わったの結構前になるなぁ…忘れてるかも…まあ書こう。



太宰 治
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はい、太宰治の「人間失格」ですね。
遺書とも言われている作品です。


物語は大場葉蔵の手記を主人公の「私」が語るという形をとっている。
内容に関しては、大場葉蔵の生涯についてである。


まあ悲惨な作品ですね。
一生の不幸の多さ。
これは葉蔵自身が生まれたときから人間失格だったから引き起こされたのか?


作品の前半では、葉蔵自身が普通の人間としてかけ離れているように書かれています。
これは先天的に葉蔵が人間失格であることが分かるのですが、この時点で果たして彼は人間失格だったでしょうか?


以後、葉蔵は「道化」を使うことで自身の非人間性を隠し、人間社会に溶け込むことが出来ていました。堀木に会い、女遊びをするようになったころでは、葉蔵は多少の挙動不審さはあるが、「世間は個人」という考えに至ることで、ある程度不安を解消できたのでしょう。しかし、ヨシ子という無垢な女性と結婚したあとに悲劇が起こります。葉蔵自身は、ヨシ子の絶対的な信頼に心を潤わされ、自身の人間へのひび割れた信頼を取り持つことができていました。しかし、ヨシ子が商人に犯されることで、葉蔵はヨシ子の信頼心が汚されたと考え、もはや人間への信頼は消え失せ、精神がやられてモルヒネ中毒者になってしまうのです。そして、葉蔵は脳病院にいれられ、自身が人間失格だと気付くのです。


葉蔵は自身を人間とは違う生きものと考え、そこには一種の軽蔑が感じられるが、最後には人間以下であるという、ただそれだけが残ってしまったわけです。
そして「いまは自分には幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行くのです。」と終わります。


どうやらこの作品については共感できる人と出来ない人がいるらしいんだけど皆さんどっちでしょうか?
僕は少し共感できてしまいました。良いか悪いかは考えてください。
自分を偽ることで他人が良いならば、いや自分を偽ることで人を笑わしていることで自らの平穏が保てるのならば、という一種の自己犠牲的な考え方しか出来ないのは悲しいことですが、そういう不器用な人間がいるということですよね。


最後まで自身が他人とは違うと思うこととそのせいで人間以下、つまり人間失格してしまうこと。良い教訓ですよ。



夏目 漱石
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こちらは夏目漱石の「こころ」。
高校の現代文の授業とかでやってる人も多いでしょう。
僕の学校ではこころの下、つまり先生の手紙、それもKとの部分のみを扱いました。
なわけで、全体を知っていたわけではないのです。
もちろん本筋は下なわけだし、他は付け足しなわけだし(これは本当)、でもまあ全体を知るとより深みが増します。


物語は私が夏休みに鎌倉へ旅行し、そこで先生に出会うところから始まります。
上は、私と先生の話。その後も私は先生宅へお邪魔するようになります。先生は、私に度々過去を匂わせるような話をしたりしますが、過去について一切のことを話しませんでした。私は、耐えきれずついに先生に過去について聞くのですが、先生は来るべき時に話すと約束するのでした。


中は、私と両親の話。私は、父親の病状の悪化に伴い、帰省から東京へ戻る日を繰り越すことになり、父親の死を待ち受ける日を過ごしていた。先生とは手紙をやりとりしているのだが、先生から来る手紙はやってこない毎日であった。そして、明治天皇の崩御や乃木大将の殉死にそって、父親も危篤状態に陥り、兄らとともに父の死を待っていたところ、先生から分厚い手紙が届く。手紙には先生の死を匂わせることが書かれており、私はついに父をおいて東京へ向かうのであった。


下は、先生の話。先生がいつか語ろうとしていた先生の過去についての話。先生の過去は、両親を失い、叔父に裏切られ、自分はKを裏切る。そして、罪悪感に耐えられなくなり、自殺をする。


先生の過去の怖さは、結局のところ自らも汚らしい人間であったという点である。それに対して、お嬢さんの今となってもきれいで純粋なところ、Kは遺書に先生のことをあえてまったく書かなかったこと、自らは汚いのに周りにはきれいなものがあること、先生の罪悪感は様々な点で多かったのでしょう。
先生は、Kを騙すことでお嬢さんを手に入れ、幸せを勝ち取るのですが、同時にKを失う。それは、自らが叔父から受けた仕打ちと全く同じ、裏切りをすることで行われた。
先生の背負っている過去は、Kを裏切って自殺させたこと、お嬢さんを汚したくないためこのことを言えないこと、そして叔父と同格の汚らしい人間であったことである。
そして、先生は誰にも信用できず、お嬢さんにも助けを求められず、孤独へ突き進むのである。


小説では、「明治の精神」について書かれることが多い。特に、先生は「明治の精神」に殉死するというわけで、自殺する。
「明治の精神」とは、明治時代に欧州と並ぶため、勉学に励み、国のために生きることが正しいということだ。
Kの「向上心のないやつは馬鹿だ」という言葉は、「明治の精神」を肯定する発言として、「明治の精神」を表す言葉である。しかし、Kは常に不安定であり、それは勉学により身を削り生きたからだ。しかし、その苦しさは相当なものであった。それはKの遺書に「もっと早くに死ぬべきであった」と書かれていることから分かる。
もちろんKの死は、先生によるものが引き金になっている。
先生はというと、Kを裏切り自殺に追い込むことで、自らは幸福を手に入れた。しかし、そこにあったのは、孤独。一切の助けはそこにはないのです。
「明治の精神」を裏切り、幸福を手に入れた先生は、「明治の精神」のもとに殉死するのです。


明治時代について考えながらこの小説を読んだことはなかったので、なるほど「こころ」は明治の終わりをも表すのかと考えさせられました。
時代小説といえばそうなのかしら。


上の「人間失格」が人間のおぞましさを描いたなら、「こころ」は人間の汚らしさを描いた作品でしょう。
しかし、ともに人間の孤独を語る上では退けられない作品であると僕は思います。
人間の黒い部分は誰にでもあるものなのです。という教訓。