uedai blog

日々のこと、読書日記、徒然なるままに思うところ

スプートニクの恋人


村上春樹スプートニクの恋人」読了。
難解、そして寂しい小説であった。

あらすじ

変わった女の子「すみれ」と彼女に恋をし恋にまったくの興味がないすみれが変化しないかと待っている「僕」。「すみれ」は22歳の春に恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚無きまでに叩きつぶした。「すみれ」と「僕」とすみれの恋した女性「ミュウ」の物語。


小説全体を通して共通する概念は表題の通り「スプートニク」である。
スプートニクとは、旧ソビエト連邦が打ち上げた人工衛星の名前。1号は世界初の無人人工衛星、2号はライカという犬が乗った生物の乗った世界初の人工衛星、しかし2号は回収されず宇宙空間を漂うことになった。文中にも出てきているが「スプートニク」はロシア語で、意味は「旅の同伴者」、単純に「衛星」という意味もある。
スプートニクという言葉が想定する意味、解釈、その全てがこの小説を表している。無機質な鉄のかたまりとなり、地球の周回をぐるぐると回り続ける。地球の周りには多くの人工衛星が漂い、同じように地球の周りをぐるぐると回っているが、二つの人工衛星がふれあうことはない、ただ一定の距離を保ち、周回を繰り返し、一瞬の間に出会う。言葉も交わす暇もない一瞬に。
地球の周りを一周するという壮大な旅の中で、人工衛星同士はまさに「旅の同伴者」、同じ旅を共にする。しかし、彼らが決して触れ合うことはない。そういう意味での「スプートニクの恋人」。最高に寂しい小説じゃないですか。


これを象徴するように小説は回っている。女性に恋したすみれ、それに対して何も出来ない、ただ待つばかりの僕。彼らは行動を起こさない。ただ与えられたルーティンをこなす。そういう日常の寂しさや変化への空しさがここにはある。変えられない二つのスプートニクの距離を受け入れ、鉄のかたまりになって地球の周りを飛ぶ閉塞感を受け入れる。
「記号と象徴」の話が印象的、交換できるか、表すだけか。二つのスプートニクの関係を表す。一体どちらなのだろうか。
ラストのシーンは難解。どう読み取ればいいのだろう…難しい。


スプートニクなんてロマンティックなタイトルをつけるくらい、ノルウェイの森にはない澄んだ空気がここにはある。誰しもが「旅の同伴者」であり、決して分かち合えないものなのだろうか、ラストシーンを様々な角度で読み取って欲しい。