uedai blog

日々のこと、読書日記、徒然なるままに思うところ

大人になるということ

4月1日、明日から社会人になります。要するに就職することになります。
社会人という言葉は好きではないのですが、ここ日本で学生を終えて就職するということを端的に表す上で、非常に使い易い言葉である「社会人」を使わざるを得ないのです。
得てして、今までが社会人ではなかったかというとそういうわけではないですが。バイトもしたし、地域ボランティアライクなこともしました。
でもやはり働くことで社会に還元することが日本人の共通概念における社会人なのでしょう。


そんなわけで人より1年長く大学生をやってきておりました。それももう終わります。
まったく実感がありませんでした。
卒業旅行に1ヶ月南米に行ったり(この話は後日)、ゼミの追いコンやついに社畜になる会を高校の同級生にやってもらったり(今思えば学生を終えることを他者から教えてもらい自覚したかったのかもしれない)、卒業式もありました。
でもどれも実感が持てなかったんですね。なんというか、変化がないというか。
でも今日テレビを見ていて、損保の何気ないCMを見て、ああなんか大人になるんだなって、唐突に思ったんです。なにか胸からぐわっと熱いものがこみ上げてきました。心身を震わす何かが。


大人になるということがどういうことなのかわかりません。
得てして、今までが大人ではなかったかというとそういうわけではないですが。お酒も飲んだし、タバコも吸いました。
でもやはり働くことで社会の大人の世界に入ることが日本人の共通概念における大人なのでしょうと思うわけです。


久々にブログを書いたんですが、書きたいネタも結構あるわけですよね。
今後は規則正しい生活が待っているわけで(それがひとつのうれしい点なのです)、その合間合間に書いていきたいと思います。
もう少し、盛り上げたいですね笑


それでは、バイバイ学生。いつかまた会う日まで。

2013年の抱負

前回の反省がチラシの裏状態で何が言いたいのかはっきりしないので、ちゃんと今年の抱負を書く。

ちなみに、はてブからはてなブログなるものへ変えてみた。結局のところ、デザインがカッコイイという理由で…いつかはWordPressに…

ということで本題!

 

年間計画と30歳までの計画

7ヵ年目標と1年目標を作ってみました。 | Hibilog | 世界一周と日常と考察ブログ

このブログを見てから、自身も今後のことをきちんと考えないとなと思い、今現在作っているという。まだ完成はしていません笑

今回はその中でも決まっている部分を書いていきます。

 

今年の気持ち的な部分

やらない後悔より、やって反省。
昨年はやらないまま終わっちゃって後からやっておけば良かったなーと後悔することが多かった。そのときは色々な柵があったのかもしれないけど、結局それって面倒だったり逃げだったりする。なので、今年は「やって反省」、これを繰り返す。まだ、失敗してもいくらでも修正できる時期なので、なんでもやってみて失敗して反省してってやっていきたい。どれだけ失敗できるか、失敗の経験値を貯める年にしていきたい。
 

今年やるべき事

  1. 毎週、本を読みレビューを書く。
  2. 体づくりを欠かさないようにする。筋トレ、ランニング、フットサル、水泳なんでも。週一で、できれば毎日何かしら行い、記録する。
  3. 英語力を鍛える。具体的にはTOEIC700点台。
  4. ロードを購入。ついでにカメラを買って、週末のリフレッシュを作る。
  5. 釣りやゴルフの趣味を持つ。父親と出かけるなど。

主に、自身を成長させること、楽しむことを年頭に置いて、上記のことを行っていきたい。仕事やプライベート両方を楽しむために、できていないことをできるように成長する必要がある。仕事については初めてから感触をつかんでいく感じで…

 

とまあこんな感じで、当ブログでは本のレビューや近場をぷらっと走ったところの紹介、一日学んだことなどを書いていきたいと思います。

遅れましたが、本年もよろしくお願い致します。

2012年を振り返る

毎年恒例の年越し初参りを済ませてきました。年越しに家でゆっくりしたいという気持ちもありますが、最近はこれがないと年が始まらないなと思うところもあります。
そして、お祓いを受けつつ年を越えた今、2012年という年を想うのでした。


大学に入って、ブログで振り返りすることをきちんと行っていなかったので、久々にやってみようと思います。
というか、お久しぶりです。生きてますw
読書感想、映画感想とかも大分書かなくなってしまったなぁ。
その時考えたことをいつか振り返れれば、また新たな考えに結びつくようになる。
そう思うので今後はもうちょいブログ書いていかないとね。早速来年の抱負言い始めてしまったw

今年1年の出来事

ひょんなことからもう1年大学生をやるはめになりーの、就職活動しーの、悩みーのな1年。
あとはスマートフォンアプリ開発のバイトを始めたこと。己の適正に悩んだこと。好きなこと、嫌いなこと…色々考えたこと。
あとは海外旅行行きたいと思ったけど踏みとどまっちゃったなーって。シリコンバレーも。勿体無いと思うけどもう戻れないからな。

今年1年の反省

結論から言うと、決定力がない、一歩踏み切れない1年だった気がします。
就職活動は、まあ社会にとりあえず飛び込みますかということで、がむしゃらに頑張れるところをなんとなく選んだように思う。
ただ、やりたいことっていうのがあまり明確でない。今後の課題としてはここだと思う。そのためにも色々なところに飛び込むことが必要かなって。
やっぱりエスカレーター式でここまできてしまって、自分自身を考えることを避けるようになってしまったのかもしれない。しっかり考えないとなーと受験してきた周りの学生を見て思う。こっから先はレールなんてない世界だし、以下に己で道を切り拓くかだよなとね。
また、考えすぎてしまう1年でもあった。考える上で、ある程度の軸を持って考える、そして情報の不十分さを理解し、完璧な答えを求めないこと、割り切ること、飛び込んでみることが必要。

来年1年やること

継続、実行、踏み込み、発信な1年にすること。
好きだったこと、やっていること、を継続する。具体的には、筋トレ、ランニングの体づくり、語学勉強、読書、そしてプログラミング。いつか点と点が繋がる日まで。
分からないことを考えすぎないようにし、とにかくやってみる。考えて悩んで、その時間が勿体無いと考えること、そういう広い視野での思考をする。
とにかく、新しいものを掴むこと、やってみようかなぁと思ったらすぐに始める。3日坊主でもいい、やらないと3日坊主になることもない、ああこれは俺に合わねーわと分かることがない、それがもったいない。じゃあいつやるの?今でしょ!
そして、これらを文章に残すこと。文字におこすことで見えてくる矛盾がある。本当にそう思っているの?って。そうやってうちに溜めている部分を外に外に出していく。


だらだら書いたけどこんなところか。
なんか俺自身のメモになっちゃったな。だめだこりゃw
まあこんなところで今年もよろしくお願いします。

殺人の追憶

殺人の追憶 [DVD]

殺人の追憶 [DVD]


邦画より韓国映画の方が圧倒的に重厚かつ余韻の残る映画であると思う今日この頃。
今回の「殺人の追憶」も余韻の残る素晴らしい映画だと思います。


あらすじ

1986年、ソウル近郊の小さな村で手足を縛られた女性の変死体が発見される。地元刑事のパク(ソン・ガンホ)が捜査に当たるが、手がかりのないまま、新たな犠牲者を出してしまう。ソウル市警からソ刑事(キム・サンギョン)が派遣されるも、パクとソは、捜査方法の違い、容疑者を特定できない焦りから衝突ばかり。その間にも犠牲者は増え続け…。

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD4617/index.html


この映画は実際に起こった華城連続殺人事件を基にした映画である。
そのため、映画の随所に80年代の人々の生活風景、捜査手法、そして未解決事件である重厚さが垣間見える。日本で言えば、オールウェイズが昭和の風景を表していると言えるだろうが、まさにその雰囲気に近い。しかし、この映画ではフィルム・ノワール的な雰囲気を加えており、また韓国の郊外の小さな村における貧しさなども加味されており、より映画テイストな重厚さが伺える。この点は本当に素晴らしい。


この映画で最高に面白い点は人間模様、二人の刑事の対立から和解、そして逆転という流れが秀逸であること、そしてラストシーンだと言える。

映画の中盤までは事件が発生し、地元刑事のパク(ソン・ガンホ)とソウル市警から派遣されるソ刑事(キム・サンギョン)との捜査手法の対立など、コメディタッチで展開されるが、事件が泥沼化し、一向に進展しなくなると一転し、シリアスな展開になっていく。ここまでで面白いのはやり方が暴力的、自白を強制させるパク(昔の日本の警察みたい)と分析や情報から推理するソ刑事の対立がある中、事件が泥沼化するに応じて、ソ刑事の疲労が感じられ、捜査も暴力的になる。ここら辺は若いソ刑事の情熱やそれに対する失望、そして怒り、という若さが伺える心理展開。セブンのブラッド・ピットに共通する面白さがある。また、パク刑事も自身のやり方では犯人を捕まえられないと考え、ソ刑事を認めるようになる点も後半へと繋がる。
その後、有力な容疑者を見つけるもDNA鑑定が一致せず、事件は完全に闇の中に入る。ここでのソ刑事とパク刑事の役割が映画序盤と変わる点もベテランと若さの違い、また今までの関わりの中で学び学ばれ、そして事件の困難に対する憤りなどが垣間見える。


そして、ラストシーン、これがまた素晴らしい。ラストシーンでは、映画のタイトルとなっている「殺人の追憶」を思わせるように、事件から時がたったあとパク刑事が仕事をやめた(以前から刑事という職を変えるように言っていた奥さんのため?普通の会社員となっている))あとに殺人現場に訪れる。ここで一連の事件を思い出し、回想にふける。犯人を捕まえられなかった自身に対する憤りも遠い過去となってしまい、もはや過去の出来事であると思わせるシーンである。そこで、女子学生に同じように訪れた犯人らしき男の話を聞く。その際のパク刑事は昔の刑事の目に戻っており、犯人の特徴を聞くが、女子学生は普通の顔と答え、パク刑事の見開かれた目の顔のアップで映画は幕を閉じる。
初めにこのシーンで考えたことは犯人を再度捕まえる決意をする顔であったが、今思えば未解決であるこの事件の犯人は未だこの国のどこかですれ違うように生きており、国民の誰かとして溶け込んでいる、そういった現実に対する驚愕、恐怖を表現した社会に対するメッセージではないだろうか。


本作品は現実の未解決事件を取り扱っており、脚色しフィクションとして表現してはいるが、現実的なメッセージを残して終わる。刑事たちの憤り、そして犯人は未だ身近などこかで普通の人として生きている事実、そして逮捕の困難性が伺え、考えさせられる。後味が良いとは言えないが、非常に余韻の残る秀作であると思います。

村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読了

年内にある程度、著名な映画や本を読み漁ろうと計画しているのだが、あまりうまくいっていない。
映画は観る分、かっちり時間とればいい話だが、本となると一日で読まず、合間合間で読むようになってしまうため、あまり読み進められない。小説の場合だと、話が途切れてしまうので、惹きこまれにくい。要するに、読書時間をがっつり確保すればいいだけの話なんだけどさ。

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)


ということで村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み終えたので紹介。
言わずもがなの著名な作品です。
時代背景が終戦直後、その後反体制派が活躍する時代にあったらしい。そういった背景で読みとくと面白いかもね。


あらすじ

主人公ホールデン・コールフィールドは何かにつけて不満や批判を言い、周りの人に適応できないでいた。クリスマス間近、ホールデンは3校目に当たる学校の退学が決定し、衝動的に寮を飛び出す。その後、ニューヨークを放浪する。その間の出来事。


あらすじを書くことが非常に難しい。というのも内容がホールデンが寮を飛び出し、実家に帰るまでの間の話を淡々と語っているからだ。書こうとすると詳細に踏み行ってしまい、話の要点が見えにくくなってしまいそうになる。ホールデンが言う、脱線する話、に似ている。


小説内では、いわゆる思春期の少年を主人公に社会に対してとげとげしている心情を様々な出来事や回想から表現している。主人公の一人称で語られるため、文学的な心理描写はないにしろ、主人公の心の声を通して、ダイレクトに思春期の葛藤が伝わってくる。


読み始めは、ホールデンの何に対しても不平不満を言う態度に辟易したが、読み進めるうちに社会から外されたものの反体制的な背景を理解できるようになり、徐々に惹きこまれていった。また、単純に不平不満を言うのではなく、妹に対して思いやりがあり優しい心遣いをすることや不平不満の中にも自分よがりな点、甘さが垣間見れ、少年の視点から観た世界に対する態度という背景も見受けられた。
今となっては、年が離れてしまったが、読み進みに応じてホールデンと同い年のころに考えていた葛藤がすこしばかり思い浮かんだ。小っ恥ずかしいけれども懐かしい。


小説中で印象的であったのは、やはり妹フィービーに夢を語るシーン、それと西部に行き、森の隣にある小屋でひっそりと暮らすと語るシーン。どちらも、ホールデンの世間に対するこうありたいという考えとあきらめを表してると思う。
ホールデンは世間や汚い大人に対して怒りや不満を抱いている。だからこそ、そういった世界に落ちないように、道を外さないように純粋無垢な子供たちをキャッチする存在になりたいと考えたのだろう。しかし、自身にはそんな力もないし、世間は強大で全てをカバーすることは難しい、いっそのこと独りになってひっそりと暮らしたいという考えになったのだろう。
思春期の少年が世間に対する葛藤と挫折、絶望を描いていると思う。なので非常に印象的。


ホールデンほどまでもいかなくても、誰しも子どもながらに考えるこうありたい、こうすべきだという世間に対する批判や思いを持っていただろう。それがうまくいかないこと、通用しないことだと知ったときもあるだろう。そんな思春期の葛藤がこの小説には描かれている。
詩的でどの点が何を暗喩しているのか、読み解くのは骨が折れるし、正直自分も理解できてないけど、読みながら頭の片隅に思春期の少年の葛藤、挫折を入れて、読むとより起承転結が明瞭になるのだと思う。

生きています。

お久しぶりです。ものすごく長い間ブログを書いていなかったように感じていましたが、1年か。いやまあ長いか。
ブログをやめたわけではない、相変わらず本も少し読んではいるけど、感想文書くほど気が起きなかった。いろいろと考えるところが多かったのよね。


というわけで、生きています。病んでないですw

生きる [DVD]

生きる [DVD]

黒澤明監督「生きる」を観ました。
珠玉の名作、これは本当に名作。「七人の侍」も観てあれもすごかったけど、これもすごい。ジャンルが違うから比較対象にはならないけど。黒澤明監督すごい。

あらすじ

主人公の渡辺勘治は市役所で市民課長として毎日書類に判子を押す毎日であった。彼にとって仕事は時間を潰すことであり、30年間無欠勤ではあるが死んだも同然であった。市役所は縦割りな組織であるため、住民の要望はたらい回しにされていた。ある日、渡邊は自身が胃癌であることを知り、生きる意味を見失ってしまう。自身で死ぬこともできず、遊ぶにもやり方が分からない、そんな渡邊は市役所を無駄欠勤し、夜の街に繰り出す。そこである小説家に出会い、遊びを教えてもらうことになる。パチンコやダンスホールなどに行き、散在するが虚しさだけが残り、家族からは白い目で見られる始末だ。そんなとき、転職を考えていた部下の小田切とよと偶然会い、何日か彼女と食事をし、天真爛漫さに惹かれるようになる。渡邊がその訳を聞くと彼女は工場の話をし、渡邊になにか作ってみたらと言う。もう遅いと逡巡するもその言葉に動かされ、渡邊は役所へ復帰し、住民の要望を叶えるために一心不乱に仕事に励むようになるのであった…


黒澤明監督は時代劇のイメージが強かったけどもこの作品は本当にすごい。
人間の生と死、死に瀕しがものがどのように生きるのか、こういったテーマはありふれていると言えなくもないが、人間臭さを描きながら、全て良く描かないところが黒澤明監督らしいと感じる。病院で医者が若手に君だったら余命いくばくかと言われたらどうする?と言うシーンがあるが、まさにこの問いを観ている人に最後まで問い続けている作品だ。


生と死というメインテーマにもさることながら、市役所の縦割り行政、官僚主義的組織や人間のずるさ、汚さを批判しながらもありのままを描いていたことが印象的である。
市役所で住民がたらい回しされるシーンが滑稽であり、現代の全ての官僚組織に対する皮肉である。市民課は市民の要望を聞くために設置されたのにも関わらず、たらい回しする始末。なにも変わらない縦割り組織をこのシーンだけで表現したのは素晴らしい。また、終盤の通夜のシーンで、助役が自らの功績だと誇示し、それにへーこらと頭をさげる課長、部長、ありのままを表現している。助役が帰ったあとは、各々言いたいことを言い合い、縄張りがあるんだから渡邊の功績ではないと言いつつも、酒が回り、胃癌であることを知り尽力をした渡邊の心持ちを考え、我々も見習わなければと合唱する始末。翌日、役所ではあれだけ渡邊を讃えていた同僚たちが何も変わらず、いつも通りの役所仕事をしているのである。
このラストは七人の侍に通じるものがある。七人の侍でも、最後村を救った志村喬扮する侍団のリーダーが相変わらず畑仕事に精を出し、あの闘争がなかったかのように振舞う村人を見て、また負けてしまったと言う。誰が何かしてもなにも変わらない、そんな人間のずるさを表現しているのではないか。


黒澤明監督は人間臭さを描かせたら世界最高の監督であると自分は思う。七人の侍では農民は汚い、武士は潔い、そう描かれているが、現代においても仕事、役職関係なく、尊い考えを持つもの、持たないものがおり、それを戒めとして描いているのではないか。本作品でも、息子夫婦が渡邊のいない間に退職金の分け前の話をしていたり、渡邊が胃癌の話を切り出そうとした際には女の話だと勘違いし、遺産の話を持ち出す。父親に至っては女がどうだかの一点張り。通夜のシーンでも、渡邊がいないことをいいことに言いたい放題、助役の前でははっきり物申せないが、居なくなった途端にべらべらとしゃべりだす。
ありのままではあるが、滑稽でいて、至極本当のこと、戒めになる。


「生きる」では、主人公を生きる屍であると明示してから始まる。そんな主人公が死と向き合い、死ぬまでに生きることを真っ直ぐに見つめ直し、自分にできる最大限のことを実現しようと奮闘する。スティーブ・ジョブズの逸話で似たような話があるが、日本人ならこの映画を観たほうがより共感できるのではないか。少なくとも私はその一人だ。

学生必見!ActionScript3.0の無料環境でスマフォアプリを開発しよう

※本日は学生向けです。


最近スマートフォンアプリを開発したくてしょうがない年頃な僕です。
とはいってもiOSアプリはアプリを実機に移す際に年間1万円弱の出費がかかるし、Androidは実機がないといった始末。なので、開発はできても楽しめないのです!


まあそれはさておき。
本日はスマートフォンアプリを開発する上でどうやって開発すればいいのかという話をしたいと思います。
基本的に、iOSアプリであればObjective-CAndroidアプリであればJavaなどの言語を用いて開発するわけですが、実を言うともう一つの方法があるのです!しかも言語共通!
それこそがAdobe AIRでの開発なのです。

Adobe AIRなにそれおいしいの?

Adobe AIRは、スタンドアロンのクライアントアプリケーションとして動作するWebアプリケーションで、それをHTML、JavaScriptActionScriptで開発できる開発環境です。
具体的な内容や開発の仕方については、Adobe AIR * Adobe AIR® アプリケーションの構築を御覧ください。
基本的には、Adobeが提供するFlash、Flash Builderの環境を用いて開発しますが、AIR SDKをインストールすることでコマンドによるアプリケーションの作成もできますので無償開発ができます。まあGUIがあったほうがテストなりコンパイルなりが分かりやすいでしょう。
詳しい内容については、Adobe AIR * AIR 開発用の Adobe Flash Platform ツールを御覧ください。

Adobe AIRでスマフォアプリを開発しよう!

詳しくは、
Adobe AIR * 初めての AIR for iOS アプリケーションの作成

Adobe AIR * Flex SDK を使用した最初の Android 用 AIR アプリケーションの作成
を参照してください。
Flex SDKというのは、ActionScript3.0の開発環境です。Adobe AIRのアプリケーションを作成する際にActionScriptを用いる場合に必要になります。
まあ、こんな感じで作れますよという話。

やっぱりコマンドじゃなくてIDEで開発したい!でもお金が無い・・・

と思われたと思います。実際にあります!しかも公式のツールで!
Adobe Flash Builder family
どうやらAdobeは学生向けに無償で開発環境を提供していまして、現在はFlash Builder4.5 Standard Editionを学生向けに無償提供しています。
上のリンクから、名前や学校名、学生証の画像を登録して、2週間くらい待つとシリアルが送られてくるので、体験版をダウンロードしてシリアルを打ち込めば普通に使えるようになります!
さあこれでみんなもスマフォアプリを開発しましょう!