uedai blog

日々のこと、読書日記、徒然なるままに思うところ

生きています。

お久しぶりです。ものすごく長い間ブログを書いていなかったように感じていましたが、1年か。いやまあ長いか。
ブログをやめたわけではない、相変わらず本も少し読んではいるけど、感想文書くほど気が起きなかった。いろいろと考えるところが多かったのよね。


というわけで、生きています。病んでないですw

生きる [DVD]

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黒澤明監督「生きる」を観ました。
珠玉の名作、これは本当に名作。「七人の侍」も観てあれもすごかったけど、これもすごい。ジャンルが違うから比較対象にはならないけど。黒澤明監督すごい。

あらすじ

主人公の渡辺勘治は市役所で市民課長として毎日書類に判子を押す毎日であった。彼にとって仕事は時間を潰すことであり、30年間無欠勤ではあるが死んだも同然であった。市役所は縦割りな組織であるため、住民の要望はたらい回しにされていた。ある日、渡邊は自身が胃癌であることを知り、生きる意味を見失ってしまう。自身で死ぬこともできず、遊ぶにもやり方が分からない、そんな渡邊は市役所を無駄欠勤し、夜の街に繰り出す。そこである小説家に出会い、遊びを教えてもらうことになる。パチンコやダンスホールなどに行き、散在するが虚しさだけが残り、家族からは白い目で見られる始末だ。そんなとき、転職を考えていた部下の小田切とよと偶然会い、何日か彼女と食事をし、天真爛漫さに惹かれるようになる。渡邊がその訳を聞くと彼女は工場の話をし、渡邊になにか作ってみたらと言う。もう遅いと逡巡するもその言葉に動かされ、渡邊は役所へ復帰し、住民の要望を叶えるために一心不乱に仕事に励むようになるのであった…


黒澤明監督は時代劇のイメージが強かったけどもこの作品は本当にすごい。
人間の生と死、死に瀕しがものがどのように生きるのか、こういったテーマはありふれていると言えなくもないが、人間臭さを描きながら、全て良く描かないところが黒澤明監督らしいと感じる。病院で医者が若手に君だったら余命いくばくかと言われたらどうする?と言うシーンがあるが、まさにこの問いを観ている人に最後まで問い続けている作品だ。


生と死というメインテーマにもさることながら、市役所の縦割り行政、官僚主義的組織や人間のずるさ、汚さを批判しながらもありのままを描いていたことが印象的である。
市役所で住民がたらい回しされるシーンが滑稽であり、現代の全ての官僚組織に対する皮肉である。市民課は市民の要望を聞くために設置されたのにも関わらず、たらい回しする始末。なにも変わらない縦割り組織をこのシーンだけで表現したのは素晴らしい。また、終盤の通夜のシーンで、助役が自らの功績だと誇示し、それにへーこらと頭をさげる課長、部長、ありのままを表現している。助役が帰ったあとは、各々言いたいことを言い合い、縄張りがあるんだから渡邊の功績ではないと言いつつも、酒が回り、胃癌であることを知り尽力をした渡邊の心持ちを考え、我々も見習わなければと合唱する始末。翌日、役所ではあれだけ渡邊を讃えていた同僚たちが何も変わらず、いつも通りの役所仕事をしているのである。
このラストは七人の侍に通じるものがある。七人の侍でも、最後村を救った志村喬扮する侍団のリーダーが相変わらず畑仕事に精を出し、あの闘争がなかったかのように振舞う村人を見て、また負けてしまったと言う。誰が何かしてもなにも変わらない、そんな人間のずるさを表現しているのではないか。


黒澤明監督は人間臭さを描かせたら世界最高の監督であると自分は思う。七人の侍では農民は汚い、武士は潔い、そう描かれているが、現代においても仕事、役職関係なく、尊い考えを持つもの、持たないものがおり、それを戒めとして描いているのではないか。本作品でも、息子夫婦が渡邊のいない間に退職金の分け前の話をしていたり、渡邊が胃癌の話を切り出そうとした際には女の話だと勘違いし、遺産の話を持ち出す。父親に至っては女がどうだかの一点張り。通夜のシーンでも、渡邊がいないことをいいことに言いたい放題、助役の前でははっきり物申せないが、居なくなった途端にべらべらとしゃべりだす。
ありのままではあるが、滑稽でいて、至極本当のこと、戒めになる。


「生きる」では、主人公を生きる屍であると明示してから始まる。そんな主人公が死と向き合い、死ぬまでに生きることを真っ直ぐに見つめ直し、自分にできる最大限のことを実現しようと奮闘する。スティーブ・ジョブズの逸話で似たような話があるが、日本人ならこの映画を観たほうがより共感できるのではないか。少なくとも私はその一人だ。