uedai blog

日々のこと、読書日記、徒然なるままに思うところ

閉じられた世界

大学のゼミが忙しくなるにつれて、大きな時間がとれなくなりました。
結果的に、仕事同士の間の時間が生じてしまってそれが短いようで長い。
そういうときはゼミのテキスト読んで復習するのも良いが、小説を読むことが大事だと思う。
普段妙に時間が余ってるときよりも読み進めやすい。
そんなわけでよく図書館で本読んで時間潰してたりとか、つまらない授業は本読んで潰していますw



桜庭 一樹
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あらすじ
東京六本木のとある廃校で夜な夜な行われるガールズファイト。行く当てもなく迷い込んでは出られなくなってしまったまゆ、ミーコ、皐月の3人の物語。


上記のとおり、3人の女性の話です。
今回の主人公は少女ではありません。(もっとも表面上のことですが)


小説はこの3人の女性をそれぞれ主人公にした3部構成になっています。
順番はまゆ→ミーコ→皐月。
それぞれのストーリーで次の主人公へバトンタッチされています。


それぞれの女性はある種のトラウマを抱えていて、それがガールズファイトをする理由となっている。
彼女らは普通に生きることができなくなってしまった。
だから、異常環境の檻に閉じこもり、現実の世界ー今までのトラウマがある世界ーと自分を切り離すことで、自己を肯定し、生きることができる。
そこでは、彼女らは格闘技が生きる手段となっている。


そんな檻の中に閉じこもってしまった彼女らはそこから出るに出られなくなってしまった。
もちろん現実逃避の末に迷い込んだ檻だ。
彼女らが檻から逃げ出す先は現実。
しかし、彼女らの真の檻というのは東京六本木にある廃校に設置されたステージの檻ではなく、ずっと以前に心に出来てしまった檻なのだ。これを壊さない限り、彼女らの時間は止まったままだ。


そういった状況があった上でこの物語は進む。
初めはまゆが、ほとんど一般人の男によって檻から脱出する。
ミーコは、千夏と戦い、自由に、好きなように生きる。
皐月は、千夏と出会い、人生をやり直す決意をする。


どれも、何かしらのトラウマを解消するような話。
彼女らは、たとえ歪んでいたとしても、止めた時間を再び動かし、人生をやり直すだろう。
巻き戻しは出来ないが、これからどうやって生きるか、未来は変えられる。


過去との決別。そして3人の女性は成長する。
青春小説というよりは、一人一人の女性の人間性の成長というか、そういった未来への希望がーたとえ歪んでいたとしてもー覗えるような気がします。



桜庭 一樹
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あらすじ
西暦1627年ドイツ、西暦2022年シンガポール、そして西暦2007年日本、3つの時間の世界で起こる物語。


あとに読んだってこともあるけど、こっちの方が印象深いですねぇ。
結論から言ってしまえばタイムトラベルものなのだけど、2つの世界での物語が完結していないからタイムトラベルの要素はあまり気にしなくて良いのかな。


これも3部構成で、一部は中世のドイツでの物語、二部は近未来のシンガポール、そして三部は現代の日本。
どの物語にも登場しているのが高校3年生の女の子、通称ブルースカイ。


現代の女子高生が中世や近未来でどのように評価されるのか、そういうことをその時代の少女(二部は男性が相手だがまあ読めば分かる)を物差しとして使うために一部と二部を出したのかな。
そうじゃないと一部と二部の物語が勿体ない。
もしくは少女の走馬燈か何か、そういう読み方も面白いかも。


現代の女子高生がどういった生き物か、そういうものを誇張的に表現したのか、忠実に再現したのか、それはちょっと難しいところですが(僕は女子高生ではない!)、とにかく誰かと繋がっていたいという心は分かった。
そのための携帯電話。
繋がった先にしか彼女の世界はないのだ。
たとえ中世や近未来といった全く違う時間に落ちたとしても、彼女らの世界はその繋がりにしかないのだ。


最後に中世のドイツも近未来のシンガポールも澄み切った青い空が延々と続き、それは未来への期待のように感じさせる。
現代の日本にも視界いっぱいに広がった眩しい青い空があって、そこでブルースカイの世界は終わる。
ともに落ちる人がいて、それぞれ行き着く先は世界の終わり。
そのことでブルースカイは世界と繋がり、世界の終わりに不安はなくなった。
そこにあるのはただ眩しいばかりの青い空であった。



桜庭一樹の作品では少女が主人公であることが多い。
それとどこか檻のような空間、閉ざされた世界でストーリーが展開されることが多い気がする。
閉じられた世界で少女という弱い存在が必死に生きている、そういう儚さだったり力強さだったりというのがあくまで現実的ではなくて、想像上のものー理想のもの、こうであってほしいものーであるが、決して非現実ではない。
誇張的な少女の表現が幅広い支持を集める所以な気がします。